インターネットに夢を見ない

僕の思い出とか、思ったこととか書く。

トンネルの向こう側(小説)

小説(10266文字)

 

『トンネルのむこうがわ』

■橋島ちさと 

 痛みで目が覚めた時、辺りは真っ暗だった。

 今、私はどこにいるんだろう。頭が酷く痛む。どうやら頭を打ったみたいだ。どうしてこんな真っ暗闇の中にいるのか、全く思い出せない。
 落ち着け、私。冷静に一つずつ思い出していこう。

 私の名前は橋島ちさと。
 お母さんの名前は美津子、お父さんは健太。
 西倉高校の二年生で吹奏楽部。担当楽器はフルート。
 今日は部活が休みだったから、里奈ちゃんと一緒にカラオケに行った。タピオカを飲んだ後に、別れて一人でバスに乗った。バスではスマホで好きなアイドルの動画を見てたけど、トンネルに入ってから電波の入りが悪く、ついには圏外になってイライラしてたところまでは覚えてる。……トンネル。そうだよ!よくわからないけど、上から凄い衝撃音がして、バスが横転したんだ!その時に、私は頭をぶつけて気を失っていたんだ。一体どれくらい時間が経ったんだろう。

スマホ……スマホはどこ?」

 私は、真っ暗闇の中で手をバタバタ動かし、スマホを探した。幸い、すぐ手が届く場所にスマホは転がっていた。自分のリュックもその隣にあった。スマホで時間を確認するとと23時09分。バスに乗ったのは18時だったから5時間ほど気を失っていたみたいだ。電波はやはり届いていない。圏外のままだ。スマホの充電は残り63%。モバイルバッテリーもあるけれど、それも尽きたら完全に暗闇だ。私は充電に気を使いながら、懐中電灯のアプリを起動し辺りを照らした。少し視界は良くなったけれどまだ状況はよくわからない。バスの外を照らすとトンネル内の消火栓が見える。ここは確かにトンネルだ。どうして非常灯はついていないんだろう。トンネルが崩落して落石がバスに当たって横転した?こんなに真っ暗ということはトンネルの中に閉じ込められた……?嘘でしょ?そんなことある?

「誰かー!誰かいませんかー!」

 私以外にも乗客が一人いたはずだし、何より運転手さんがいるはず。私は声を張り上げたが、トンネル内に虚しく反響するばかり。
「もしかして運転手さんも、前に座ってたあの人も、死…死んでたりしないよね。私も気を失ってたんだから…。うん、そうだよ。そうだよ。」
 不安と恐怖をかき消すように、ブツブツとひとり言を呟いていた。でも大丈夫だよね!きっとすぐニュースになって警察?消防?わからないけどレスキューの人が助けに来てくれるよね!

 運転席には運転手さんがいるはずだ。スマホで照らしながら、バスの中を這って進んでいく。前の席に座っていたはずの男性がいない。窓が割れているから投げ出されてしまったのだろうか。外の様子は暗くてよくわからない。
 運転席まで行くと、運転手が頭の上に大きな岩が乗っていた。辺りには大量の血が沁みている。
「…運転手さん!運転手さん!大丈夫ですか!」
 大丈夫なわけがない、大丈夫なわけがないでしょう。運転手さんの体に触れると体温をまるで感じなかった。恐怖で身体がガクガク震えた。人が死んでいるのを見てしまった。さっきまでこの人生きてたんだよ。いつものバスのいつもの運転手さん。50歳くらいの白髪交じりで優しい声をしたおじさんが、今、岩の下敷きになっている。死んだ。死んだんだ。
 
 私はバスの外に出た。トンネルから出なくちゃ。スマホのライトを頼りにして歩いていく。すると、男性が倒れているのを見つけた。この人は前に座っていた男性だ!
「大丈夫ですか!意識ありますか?あったら返事をしてください!」
 お願い、返事をして…!私は祈るような気持ちで男性に呼びかけた。
「ん……ああ……ここは?」
 男性は私の声に呼びかけるようにして目覚めた。私は男性にこの事態を説明した。
 トンネルが崩れて閉じ込められたこと。
 それから数時間経っていること。
 運転手さんが亡くなったこと…。
    このトンネルの中には私たち二人しかいないこと。

「…ああ。そうか。最近雨続きだったから土砂崩れでも起こしたのかな。運転手さんもお気の毒に。」
 男性は妙に冷静だ。
「とにかく一緒にここから出ましょう。私,一人が怖くて怖くて…。」
「そうだよね。怖いよね。でも僕は一緒には行けないな。さっきから足がとても痛いんだよ。多分、骨が折れてる。」
「えぇ!?大丈夫ですか?ごめんなさい、私自分のことばっかりでお兄さんのこと考えられてなくて…。」
「いいんだよ。でも嬉しいな。君みたいな女子高生にお兄さんって呼ばれるなんて。もう僕は35歳なんだけどなあ。立派なおじさんだよ。立派な人間ではないけどさ。」

 男性からはまるで緊張感を感じない。本当に状況がわかっているのだろうか?まだ現実を受け止められないだけかもしれない。こうやって精神を保っているのかな。

「とにかく私だけでも外に出て助けを呼んできますね!申し訳ないですけどお兄さんはここで待っていてください。」
「うん、わかった。ありがとう。」

 出口に向かって歩いたが絶望はすぐにやってきた。完全に出口は瓦礫で埋まっている。反対側へも行ってみたが同様だった。そうだよね。すぐ出られるのならもう助けが来てるはずだもんね。そんな当然のことにすら気付かないくらい動揺しているのか。
 ひとまず私は男性の所に戻ることにした。この暗闇の中、一人ではとても耐えられない。

「ダメでした。出口は両方とも埋まってました。」
「そうだろうね。まあ仕方ないか。」
「もしかしたら他に人がいるかもって思いましたけど、誰もいませんでした。普段から車通りの少ない道ですから、閉じ込められたのはやっぱり私たちだけみたいだけみたいです。」
「そうか…まさかこんなことになるなんてね。」

 動揺している私とは対照的に、やはり男性は冷静だ。これが大人の余裕ってやつなんだろうか。それにしても冷静過ぎる、まるでこの状況をどうとも思っていないみたいな…。

「こうなったら助けを待つしかないね。」

そう言う男性の言葉もどこか他人事のように聞こえる。

「あの私、橋島ちさとっていいます。西倉高校に通ってます。お兄さんの名前を教えてもらっていいですか?」
「……ちさとちゃんね。僕は君島直哉。直哉でいいよ。西倉高校ってことは僕の後輩になるね。20年個下の後輩かあ。高校生活楽しい?」
「はい、楽しいですよ!仲の良い友達もいますし。里奈ちゃんって言う子なんですけど、凄く変わった子で、今日もカラオケでずっと真顔で童謡を歌ってるんですよ。凄く歌が上手いから感心しちゃうんですけど、あんなに真顔でチューリップ歌う人います?咲いた、咲いた、チューリップの花がって。もうおかしくておかしくて私ずっと笑っちゃいましたよ。あ、里奈ちゃんっていうのは吹奏楽部で一緒の子なんですけど。」
「そっか、楽しそうだね。僕も高校時代は吹奏楽部だったよ。と言っても半年くらいしか在籍してなかったけどね。」
「そうなんですか!直哉さんはOBだったんですね!それなら、ますます先輩ですね。」
「ますます先輩だよ。一応だけどね。」
「意外な縁ってあるものですね。こんな所で言うのもなんですけど。」

 同じ高校の卒業生と知って直哉さんとの距離が縮んだような気がする。直哉さんも少し心を開いてくれてるような気がした。こうして話していると心細さが和らいでいくような気がした。もし外に出られなくて、誰もおらず一人だったらと考えると恐ろしい。直哉さんがいてくれてよかった。

「なんか、ちさとちゃんって話しやすいね。」
「そうですか?でも、私は初めて会う人にも昔からの親友のように接するようにしてるんですよ。その方が仲良くなれる人とは早く仲良くなれるし。それで引いちゃう人は仕方ないかなって。仲良くなるまでの時間が勿体ないんですよね。」
「へー、凄いね。その考え方好きだよ。」
「これは母からの受け売りなんですけどね。小学生の頃の私は引っ込み思案で友達がいなかったんですけど、母に言われて勇気を出してあえて人との壁を壊していくようにしたら友達が出来たんです。まあ嫌われることも増えましたけど。だから直哉さんに話しやすいって言われて嬉しいです。」

 お母さん…。
 心配してるかな。
 凄く会いたいよ。

「ちょっとさ、僕の話をしていい?」

 直哉さんは私の顔をじっと見て、そう言ってきた。
 ええ、どうぞ。と答えると、堰を切ったように話し始めた。

「……僕はさ、もう死のうと思ってたんだ」

■君島直哉

 これまでの人生全然ダメだったんだよ。
 小学生の頃はいじめられてて毎日学校に行くのが辛かったな。中学の頃になるといじめられることはなくなったけど、なんだかみんなに距離を取られてるというか、とにかく毎日ずっと一人だったんだ。友達なんていなかった。
 だから高校…そう西倉高校に入って自分を変えようと思ったんだ。ここは僕の地元からは離れていて知り合いが誰もいないから。入学してから無理に明るく振る舞ったり、色んな人に声をかけたりしてさ、いじられキャラになったりもして友達を作ろうと頑張ったんだ。でも無理は続かないよね。最初はみんなと楽しく過ごしていたけど、徐々に徐々に距離が離れていくんだ。2年生になる頃には結局僕はまた一人になってたよ。みんなと仲良くしようとしたら、結局一人の友達も作ることが出来なかったんだよ。そうそう、入学した時は吹奏楽部に入ったんだけど、自分以外が全員が女子っていう空間に耐えられなくて半年くらいでやめちゃったんだ。そして結局何も自分を変えられないまま高校を卒業したよ。

 とにかく青春時代を謳歌するってことに、完全に失敗したんだ。

 卒業後は進学も就職もせずにフラフラしてたよ。
 毎日暇でさ、夜になると近くの公園に行って一人でギターを弾いて歌ってたんだ。一応、僕のオリジナルソング。これでも作曲には結構自信があるんだよ。で、自分の塞ぎ込んだ色んな気持ちを発散してたんだ。
 そうやって歌ってたらさ、一人に女の子が声をかけてきたんだ。それがね、もう失礼なんだよ。
「…あんまり上手くないね。」
だよ?どうしてこの人いきなり悪口言ってきたんだろうって。でもその後に彼女はこう言ったんだ。
「でもなんだか好きだよ、あなたの歌。いつもここで歌ってるの?また聴きに来てもいい?」

 それから彼女、ミコって言うんだけど、は大体3日おきくらいに僕の歌を聴きに来たよ。直哉の歌は不器用で人間臭さが滲み出てるのが良いって言ってくれてたけど、なんとなく褒められてる気がしなかったな。もっと声が良いねとか、曲が好きだよ、とかそういう風に褒めてくれればいいのに、ミコは絶対にそういうことは言わないんだ。 
 歌い疲れたら、そのまま夜の公園で二人で話し込むこともよくあった。そこでミコとは同い年だってことを知ったよ。ミコは短大に通っていたからその話をしたり、他にもバイトの話とか。僕の話なんかも聞いてくれたな。僕には友達らしい友達がそれまでいなかったからこうやって話し合えるってことが嬉しかったんだ。
「私が同じ高校だったら直哉と絶対仲良くなりに行ったのに。絶対楽しいし、そうやって周りに馴染めない人って私好きだから。」
なんて言ってくれて、凄く嬉しかったな。
 まあ大体わかると思うけど、僕はすぐにミコに恋をしてしまったんだ。それまでロクに人と関われなかった僕をほぼ完全に肯定してくれたのがミコなんだ。
 
 でもこの恋は叶わぬものだってわかっていたよ。ミコには彼氏がいたからね。いつも彼氏の話をするんだよ。ケンちゃんと水族館に行った。ケンちゃんとケンカした。ケンちゃんと仲直りした。ケンちゃんとセックスした。
 叶わぬ恋だとわかっていても、こうやってここで歌い続けていれば、僕はミコに会える、ミコと話せる。それだけでよかったんだ。
 それなのに、僕らはいつしか夜の公園以外でも会うようになっていった。昼間に会うことはなくて、必ず夜だけれど。
 今でも忘れられないのが二人で一緒に月の照らす砂浜を一緒に歩いた真夏の夜だね。月明かりの下で波と戯れるミコの姿と声を、今でも鮮明に思い出せるよ。凄く綺麗だった。それを見ながら「二人を照らすのは太陽ではなくいつだって月明かりだな」なんて思ってたんだ。太陽の下で堂々と逢えたらいいのに。でもミコの彼氏に見つかると良くないから。別にやましいことは何もないけれど、これは浮気だってお互いに言葉にはしないけどわかっていたんだ。
 そんなある日、僕が凄く落ち込んでいて「結局僕はずっと一人な気がする。これからもずっとそうなんだよ」なんて愚痴ったら、ミコは僕の体を抱きしめて
「直哉は一人なんかじゃないよ。私がここにいるじゃない。直哉が一人じゃないって私が証明してみせるから」とか、もうボロ泣きしながら言うんだよ。僕のことを考えて泣いてくれる人がいるなんてとにかく驚いたよ。この時に、初めて僕は、自分がこの世界に存在しててもいいんだって思えたんだ。僕も涙を堪えることが出来なくて泣きじゃくったよ。
 そのままいつもの公園で、最初で最後のキスをしたんだ。

 それから何日後だったかな、でもすぐだったな、ミコが妊娠したのは。
 
 そんなに驚きはなかったな。避妊してないってことは聞いてたし。子供が欲しかったとかじゃなくて、単にそこはだらしなかっただけだと思うけど。
 妊娠が発覚して以来、ミコは夜の公園に来なくなった。「直哉が一人じゃなって証明してみせる」なんて言ってたけどそんなもんか。とか自分勝手なことを考えたりもしたよ。でもさ、よく考えたら、僕みたいな人間にこんな夢みたいな時間を与えてくれたミコには感謝しかないよね。凄く辛い気持ちもあったけど堪えてミコの幸せを願ったよ。それに新しく生まれてくる命を呪ってる人間がいるなんて、そんな可哀想なことないでしょ。

 高校を卒業して以来ずっとフラフラしてた僕だけど、バイトを始めることにしたんだ。ずっとネガティブな僕だったけど、とにかく明るくてポジティブなミコに影響されて考え方が前向きになっていたんだ。
 バイトを始めて3か月経った時に、珍しく連休が取れたから、久しぶりに夜の公園に歌いにいったんだ。
 そうしたらそこにミコがいたんだ。
「急に会えなくなってごめんね。メールでも言ったけど私妊娠したんだ。」
「うん。」
「多分会えるのも今日で最後。だから私は直哉に謝りたくて、あとどうしても言いたいことがあってここに来たんだ。」
「そっか。わざわざありがとうね」
「私ね、直哉のこと好きだったよ。私はズルい女なんだ。彼氏のことが好きなのに、直哉のことも離さないようにして。直哉が私のこと好きだったのもわかってたよ。だけどそれをわざと曖昧にしてたんだ。ごめん。直哉と一緒にいると、こんな卑怯な私でも真っ直ぐで素直な人間になれる気がしたんだ。直哉は全然自分に自信がないけど、私は直哉の良い所をいっぱい知ってるよ。いつも一生懸命なところ、人の悪口を言わないところ、誰よりも素直なところ、そしていつも素敵な歌を歌ってくれるところ。ねえ、最後にズルい私のお願い聞いてくれる?直哉の歌を聴きたいな。」
「……いいよ。でもちょっと移動しようか。」

 そうして僕らはいつかの砂浜へ行ったんだ。その日は綺麗な満月だった。静かな波音が響いている。もう11月だから夜の潮風で少し冷える。
 これから歌う曲は、いつかのミコの姿を想って作った曲だ。
 タイトルは「月の照らす砂浜」
 僕は精一杯に歌った。ミコへの感謝も愛情も上手く言葉に出来ない気持ちも全部伝わるように、想いを込めて、歌ったんだ。

「直哉、ありがとう。今までで一番良かったよ。直哉はずっと歌い続けてほしいな。きっと直哉の歌に救われる人が必ず沢山いるはずだから。今までありがとう。出会えてよかったよ。」

 そう言ってミコは去っていった。去りゆくミコの姿も月明かりに照らされて、最後までやっぱり綺麗だった。「ずっと歌い続けてほしい」なんて言われたらもうやめることが出来ないよね。こんなの呪いじゃんって笑っちゃったよ。

 それから僕は1年間バイトを頑張ってお金を貯めて東京へ行ったんだ。20歳になった時だね。東京で自分の歌を試してみようと思ってね。

 だけどね、ここは結論から言うと全然ダメだったよ。僕は歌そのもが好きなんじゃなくてミコに歌うのが好きだったんだって気付かされたというか。本気で音楽やってる人の熱量や努力量って本当に凄いから。自分は全然ダメだなって思ったんだ。
 上京して1年も経たない内に心が折れて、それからはたまに路上で歌うくらいで、特に夢も希望もなくずっとバイト暮らしだよ。
 自分の人間性みたいなものは変わってなかったみたいで相変わらず友達は作れず、ずっと一人さ。
 ミコと一緒にいた半年間はあんなに鮮明に思い出せるのに、それからの15年はこのことはボンヤリと思い出せないんだ。僕はきっとこの15年でダメな人間になったよ。今の僕を姿を見たらミコはなんて言うんだろうな。

 最初にも言ったけど、僕はもう死のうと思ってたんだ。
 もう自分の人生に何も希望がなくてさ、毎日楽しくも辛くもないんだよ。だったら、35歳になったら死ねばいいや、って後先考えずに生きてみようってある日思ったんだ。26歳の頃だったかな。そう思った直後は色々と行動出来て楽しかったけど、やっぱり飽きてくるんだね。それからまた何もないまま35歳になっちゃたよ。だからもう死のうって。
 でもさ、死ぬ前に最後にミコに会いたかったんだ。15年間も会ってない僕のことなんて忘れてるかもしれないけど、それでも最後に少しだけでも会話がしたかったんだ。どれだけ引きずってるんだよって笑っちゃうかもしれないけどさ。僕の人生で唯一輝いていた時間がミコといたあの半年だったんだよ。
 そう思って帰ってきて、思い出の街に向かってバスに乗ってたら、このトンネルの事故だよ。笑っちゃうね。僕の人生どうなってんだよ。神様は僕に何があっても不幸であってほしいみたいだね。このままここで死んでしまっても別にいいかなんて思ってるんだよね。

 長々とこんな話をしてごめんね。多分僕が人生で最後に話す相手が君だからさ。ちさとちゃんだっけ?ありがとうね。なんだか凄く話しやすくて、一気に話しちゃったよ

■橋島ちさと

 直哉さんは、一気に話した。
 長い長い話だったけど、私は何故かその話に引き込まれていた。直哉さんはきっと上手くいかないことだらけで心が折れてしまってるんだろう。自分の可能性を信じられなくなってるんだろう。まだ16歳の私にその絶望はわからない。単に直哉さんの努力不足なのかもしれない。でも今の話には直哉さんの強い強い想いが込められているように感じた。こんなに強い想いをぶつけられたのは初めてだ。

「直哉さんの歌、聴いてみたいな…。」

 私がそう言うと、直哉さんは苦笑いをしながら

「無理だよ。一気に話して喉がカラカラだし。実は骨も少し痛めていてね、話すだけでも結構痛いんだよ?」
「じゃあ、外に出て、治ったら聴かせてください。このまま死ぬなんて言わないでください。そんなの私が認めない、私が許さない。私は直哉さんの歌が聴きたいと思ったんです。私に歌を聴かせるまでは絶対に生きてください。」
「随分めちゃくちゃ言うね。」
「はい、私はワガママなんですよ。里奈ちゃんにもいつもそうやって怒られてるんですから。」

 直哉さんは私を顔をじっと見て、そして笑った。

「オッケー。じゃあそれまでは生きるよ」
「約束ですよ。」
「安心して、後輩との約束は守るよ。でも、それもここから無事に出られたらの話だけどね。」

そうだ、結局いつになったら救助は来るのだろう?いや、そもそも救助などくるのか?私たちは実は誰にも気付かれずに埋まっているんじゃないか?そんな不安を感じた頃、強く大きな光が私たちを照らした。

「救助隊です!!聞こえますか―!救助隊です!!」

救助が来た!!
救助が来たんだ!

 
「直哉さん!!救助が来ましたよ!私たち出られるんですよ!!」
「ああ…。」
「もう、もっと喜んでくださいよ。でもこれで絶対に約束は守ってもらいますからね。いつか歌を聴かせてくださいね。」

 私たちはそれぞれ救助された。
 トンネルの外にはお母さんとお父さんが待っていた。
 
「ちさと…!よかった生きていてくれて…。」

 お母さんが泣きながら私を抱きしめてくれた。お父さんも後ろで涙を流している。私は助かったのだ。こうやって、生きて、外に出ることが出来たのだ。安堵からか涙が止まらなくなり、それは嗚咽となった。
 また家族でご飯を食べれる。水族館にも行ける、喧嘩も出来る。仲直りも出来る。そんな当たり前のことが当たり前に出来るのだ。よかった。よかった。
 亡くなった運転手の遺体も収容されているようだ。私は目を瞑り手を合わせた。あの白髪の運転手さんの分も精一杯生きなくてはと思う。

 直哉さんは救急車で運ばれていった。
 私も少しだけ同じ病院で入院することになった。頭を強く打ったから精密検査をするらしい。大袈裟だなあ。こんなに元気なのに。

 そして、あのトンネルの事故から半年が経った。
 私は西倉高校3年生となった。今年から吹奏楽部の副部長だ。
 こうやってのんびりと朝ご飯を食べられる日常が当たり前ではないんだと日々感じている。

「あ、お母さん!今日私遅くなるから」
「あら、珍しい。何があるの?」
「えっとね、ライブ。」
「ライブ?誰の?どこまで行くの?」
「アーティストは内緒。でも会場はね…」

「月の照らす砂浜だよ。」

 

■君島直哉

 月明かりの下で、僕は海でギターを弾いている。この海でギターを弾くのも15年ぶりか。 
 もう少ししたら僕の歌を聴きにお客さんがやってくる。

 あのトンネル事故からもう半年が経つ。そしてトンネル内で出会った少女を今待っている。橋島美津子の娘、橋島ちさと。つまりミコの娘だ。
 何の因果か、ミコに会うために西倉町に帰ってきてすぐにトンネル事故に巻き込まれ、そしてミコの娘と出会った。その娘が何故か僕の歌が聴きたいと言いだし、この海で歌うことになった。 
 病院でちさとちゃんの顔をしっかり見た。スマホのライトに照らされただけのトンネル内では薄暗くてわからなかったが、本当にミコによく似ている。ちさとちゃんのお見舞いにやってきたミコの姿も見た。ミコが僕に気付いたかどうかはわからない。16年ぶりに見るミコは僕の記憶の姿とは違っていた。昔と同様に綺麗なのだが、より強い女性となっていた。僕が全く知らない強く優しい母の顔になっていた。以前より更に色気も増して、魅力が増している。あれから良い人生を歩んできたんだろうなとすぐに感じた。
 ミコの16年に比べて僕は何をやっていたんだろう。何も成長せず何も得られず、ただ老いていくだけ。やはり生きている意味などなかったように思える。

「この海で死ぬつもりだったんだけどなあ」

そう、ひとり言を呟いた時、ちさとちゃんが現れた。

「直哉さーん!お待たせしましたー!お久しぶりです!」

元気に一杯に現れたちさとちゃんの姿は、月に照らされ、かつてのミコの姿と被って見えた。ちさとちゃんは、僕が話した「ミコ」が自分の母のことだと知っているのだろうか?

今日の為に新しく曲作ってきた。新曲なんて何年ぶりに作るだろう。
タイトルは「トンネルの向こう側に」
あの日のこと、そして僕の人生も今までトンネルに埋まっていたようなものだと思い、そこからの脱出を願い作った曲だ。
 僕は精一杯に歌った。ちさとちゃんは目を瞑りじっくり聴いてくれている。そして歌い終えると一言。
「…あんまり上手くないですね。」
「でも私、直哉さんの歌好きかもしれないです。他に曲ないんですか?もっと歌ってくださいよ。」

僕はそれから1時間歌い続けた。これでは本当にライブみたいだ。

「直哉さん、東京に帰っちゃうんですか」
「いや、もう死ぬつもりで帰ってきてるし。バイトもやめたし部屋も解約したしこのまま実家にいるよ。」
「この後どうするんですか?」
「正直まだ考えてない」
「死なないでくださいね。私、また直哉さんの歌が聴きたいです。よかったらまた聴かせてください。」

■橋島ちさと

 直哉さんの歌はそんなに上手じゃなかった。むしろ下手な部類かもしれない。でも何故だろう、私はまだ直哉さんの歌が聴きたいと思ってしまう。あのトンネル内を一緒に過ごしたという吊橋効果だろうか。
 今ここで急にキスをしたら直哉さんは驚くかな。その顔を見てみたいな。この人が私の彼だよ!って連れて帰ったらお母さんは驚くかな。「ミコさん」は驚くかな。そうしたらどんな顔をするんだろう。
 私の中のいけない何かが疼いているのがわかる。血は争えないということかな。
 お母さんが今でも他の男の人と関係があることを私は知ってる。相手が何人いるのかまでは知らないけど。私が子供の頃からずっとそうだった、お父さんは知ってるのかな?でも私はお母さんを責める気にはなれない。だって気持ちがわかるもん。男の人の心を掴むのって気持ちいいもんね。それに私はお母さんが大好きだから。
 
「ねえ、直哉さん」
「ん?なに?」
「直哉さんは一人じゃないですよ。私がいるじゃないですか。直哉さんが一人じゃないってこと、私が証明してみせます」

 私は直哉さんを真っ直ぐ見据え、その唇を奪った。

「ミコさんが出来なかったことも、私ならしてあげますよ?」

 

終。