インターネットに夢を見ない

僕の思い出とか、思ったこととか書く。

 

 

 

一人旅

西伊豆の旅(2017年2月)

 

こんにちは、旅人のイチです。

2017年2月に行った西伊豆一人旅をまとめます。

目次

  • 日程
  • 交通手段
  • 見た景色
  • 行ったお店
  • 泊まったホテル
  • 写真集
  • まとめ

日程

2017年2月12日、13日の二日間行いました。
12日は修禅寺周辺から宿の土肥温泉まで。
13日は土肥温泉から恋人岬です

交通手段

■行き

新宿→三島(新幹線 5000円)
三島→修禅寺伊豆急行 1000円)
修禅寺→土肥温泉(バス 1000円)
土肥温泉→恋人岬(レンタサイクル 500円)

■帰り

上記を逆にするだけ

■交通費

行き 7500円
帰り 7500円

交通費合計 15000円

見た景色

三島駅からの富士山

三島駅の新幹線のホームから見える富士山
こんなに圧倒的で雄大な景色が三島の人々の日常なんだと感じました

萬城の滝

修禅寺と言えば、浄蓮の滝が有名ですが、もう一つこんなにも美しい滝だってあるのです。
あまり知られていない隠れスポットだからこそ、一人でのんびりゆっくりと滝を楽しむことができました。

西伊豆の夕焼け

西伊豆の日本でも有数の夕焼けスポットとして知られています。
実際に見てみると、海を赤く染める夕焼けに目を奪われてしまいました
夕焼けや朝焼けは見られる時間が短いのも特別な感じがしていいですね。

海越しの富士山

土肥温泉からレンタサイクルで海沿いを走っているとこんな展望が。
最高の快晴で、最高の海と、最高の山を眺めながらのサイクリング
ただただ幸せです。

世界一の花時計

土肥海水浴場のすぐそばの松原公園内にある「世界一の花時計」
「世界一の花時計」という名前なんです。 そう、この大きさが世界一なんです。
帰りのバスを待つ時間をこの花時計を見て過ごしました。
過ごしただけで、時間はスマホで確認してました、すまない。

行ったお店

お食事処「名称不明」

土肥ふじやホテルの近くにあるお食事処。
海の近くならではの海鮮丼が美味。
食後、女将さんからみかんを一個いただきました(写真を撮り忘れた…)
旅先での優しさは沁みます。

スーパーAOKI

土肥ふじやホテルの近くにあるスーパー。
静岡県に一人旅に行くとよく見かけます。

土肥金山

土肥ふじやホテルの近くにあるお食事処。
海の近くならではの海鮮丼が美味。
食後、女将さんからみかんを一個いただきました(写真を撮り忘れた…)
旅先での優しさは沁みます。

恋人岬フードコート

土肥ふじやホテルの近くにあるお食事処。
海の近くならではの海鮮丼が美味。
食後、女将さんからみかんを一個いただきました(写真を撮り忘れた…)
旅先での優しさは沁みます。

泊まった宿

今回お世話になったホテルは土肥ふじやホテルさんです!!
屋上が解放されており、そこから土肥の街と西伊豆の海を一望出来、最高の見晴らしが楽しめました
素泊まりでお値段は10000円でした。

写真集

まとめ

自分が長年やってきた一人旅の中でも最高レベルに気持ちがいい旅でした。
絶景が見られたとか、宿がよかったとか、食事が美味しかったとか、そういうの色々あるけれど
結局、歩いていて気持ちがいいというのが一番です。
この日は天候、気候、自分の体調、メンタルなどの条件が良かったのだと思います。
同じ場所でも条件次第で感じ方は大きく変わります。
一人旅はいつも一期一会。
改めてそれを強く感じた一人旅でした。

またこんな最高の旅がしたいなあ。

&copy ICHI

高校生の頃に新聞配達をしていた話

高校生の頃の僕はバンド活動に夢中でした。
バンド活動にはお金がかかります。
楽器代、練習スタジオ代、ライブ出演や企画の為の費用…。
お小遣いやお年玉貯金だけでは、もう全然足りないのです。

バイトをしなくては…。

しかし、僕の通っていた高校ではバイトが原則禁止となっていました。
家庭の事情がある場合のみ認められるらしい。(ちゃんと調べたわけではないけど)

でもバイトがしたい!
したいったらしたい!!
したい!したい!したいもん!!

駄々をこねる僕を見かねてか、父がどこからか新聞配達のバイトの話を持ってきてくれました。
僕の住んでいた地域では夕刊配達という文化はなかったので、朝刊のみの配達です。高校からかなり離れた地区でもあるのでまず学校にバレることはないでしょう。
校則違反にはなるけど、仕方ない、バンド活動の為にどうしてもお金が必要だったんです。
僕、新聞配達やります。

まずは僕の雇い主のおじいちゃん宅へご挨拶に伺います。
まずは僕が配るべきエリアの地図を渡されました。
まず初日はそのおじいちゃんと軽トラに乗って一緒に配っていきました。
いわゆる研修ですね。
自宅の近くばかりだし、地図もあるしで、すぐに配る家を覚えたので2日目からは一人で配ることになりました。
大体朝4時くらいになると自宅の前に、僕が配るべき新聞を、雇い主のおじいちゃんが置いていってくれます。
それを僕は自転車のカゴに入れてどんどん配っていくわけです。
だから起きてすぐに働き始める感じですね。

それからは毎朝、新聞配達をします。
休刊日(月に1回くらい)以外に休みはありません。
元旦だろうがお盆だろうが配ります。
この新聞配達は高校を卒業して上京する直前の3月末まで続けました。

慣れてくると配るエリアも件数もどんどん増えていって、最終的には朝4時~6時までの2時間配っていました。
それで月に2万円くらいもらってましたね。
給料日になると雇い主のおじいちゃん宅へ伺って封筒でお給料をもらうわけです。
振込もいいけれど、こうやって現金を封筒で渡されるのが僕は好きでした
しかし…。
60時間(毎朝2時間×30日)で2万円か…。
時給にしたら333円。
当時は時給とか何にもわかってなかったので「やっほい!毎月2万ももらえる!」とはしゃいでいたけれど。
でもさすがに時給低くない!?


でも新聞配達自体は僕は結構好きだったんですよ。
早起きもすぐに慣れたし、朝の丁度いい運動って感じでした。
6時に配り終えて、帰宅してシャワーを浴びて、しっかり朝ごはんを食べるっていていう健康的な生活を送っていました。大体22時頃には寝てたし。
全然

…ただですね、超田舎ならではの新聞配達の苦悩があるんです
特に嫌だったことは、断トツでこれです。

野犬に追われる

とあるエリアにいるんです、野犬が。
そのエリアに朝に入ると野犬が追ってくるんです。
自転車を必死にこいでそのエリア(縄張り?)から出ると追ってこなくなるんですけど。
途中からは、僕に慣れたのか全然追われなくなったけど、それまでは本当に命懸けでした。
あれ追いつかれてたらどうなってたんだろう…。

次に嫌だったのは、
山の奥の誰も住んでいないようなボロ家に新聞を届けること。
僕の住んでいた場所は本当に田舎なんです。
徒歩数分で海、山、川があって、本当に自然に恵まれた素敵な場所です
参考までに、僕が新聞を配っていたエリアの写真です。


こんな感じなので、とにかくもうボロ家が多いんです。
新聞配達をすることになって「え?ここ人住んでたの?」と知ったボロ家が何件もあります。
で、その中にいくつか、本当に幽霊が出そうな、包丁研いでるおばあちゃんがいそうな雰囲気の家があるわけです。
そんな家にも新聞を届けなくてはいけないのです。
朝4時のまだ真っ暗な山の中って風の音が凄く怖いんですよ。
後ろを振り返ったら何かいるね、死ぬね。っていう雰囲気がとにかく凄いんです。
大袈裟とかじゃなくて本当にもう怖いんです、嘘だと思うのならとりあえず行ってみてほしい…!
そんな空気の中で「幽霊屋敷かな?」みたいなお宅へ新聞届けるのが凄く嫌だったんです。
さっきから家の人に凄く失礼なこと言ってるけど。

当時、僕は「着信アリ」というメチャクチャ怖いホラー映画を見てしまったので、それからが特に怖かったです。
あんなの見るんじゃなかった。


そんな怖い思いをしながらも楽しく新聞配達をしてました。
大雪の中必死に配ったり、強風で配るべき新聞が飛ばされたり、ギックリ腰になったり、年越しで友達と神社に行ったその足で元旦の新聞配達をしたりとか、色んな思い出があります。
全部、楽しかったです。

僕に新聞配達をさせてくれたあのおじいちゃんに凄く感謝しています。
あのおじいちゃんは何者なのか、そもそも父はどこからこの話を持ってきたのか、など今でも知らないことだらけなのですけど。

そんな新聞配達のお話でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

僕は芸術家にはなれない

ぐうたらな一日でした。
何をしてたのかよく覚えてない間に夜になってしまったくらいに、ぐうたらでした。
…なんかぐうたらって言葉可愛くない?

ぐうたらに過ごしたせいか今日は頭が働いていないです。
だからこの日記を書こうとしても上手く言葉が出てこない。

とりあえず最近考えてることをつらつらと書いていきます。

日々何かしらをしています。
日記書いたり、小説書いたり、思い出話を書いたり、曲を作ったり、最近は出来てないけど一人旅や自然巡りをしたり。
もちろんそれらは全部楽しいんだけど結局「人と会うための手段」だって感じがします。
僕が一番求めてることは人に会うこと、喋ることです。
人と会うことが何よりワクワクするし、人と話してる時が一番楽しい。

自分の行動で僕に興味を持ってくれた人と会いたい喋りたい。
その気持ちがあるから色々行動できるんだと思う。
もし人を求める気持ちがなかったら逆に何も形にしないと思う。
だって自分の頭の中にあるんだから、それを表に出す必要がない。
その必要性ってのが「人と会うこと」です。

今、この日記を読んでいるあなたと会ってみたいんです、あなたと話してみたいんです、あなたに届くように書いています。
これは日記だけじゃなくて僕の行動すべてがそうです。

この人に会いたい喋りたいって気持ちを二の次にして「作品作りこそが自分のやりたいことなんだ!」って芸術家みたいなことを言いだすと僕の何かがズレていく。
作ることはもちろん好きだし楽しいけど、それより何倍も人と会いたいって欲求が強いです。
俗な人間です。
人と会うためには、自分は孤独にもぐらないといけないとも思っています。
誰かに合わせてる状態で人と会っても意味ないから。

多分僕にとって一番大事なことは、とにかく人と会うことで、それ以外の世の中の全ては手段なんだろうと思います。
そこをとにかく履き違えちゃいけない。

僕は芸術家にはなれない。

 

トンネルの向こう側(小説)

小説(10266文字)

 

『トンネルのむこうがわ』

■橋島ちさと 

 痛みで目が覚めた時、辺りは真っ暗だった。

 今、私はどこにいるんだろう。頭が酷く痛む。どうやら頭を打ったみたいだ。どうしてこんな真っ暗闇の中にいるのか、全く思い出せない。
 落ち着け、私。冷静に一つずつ思い出していこう。

 私の名前は橋島ちさと。
 お母さんの名前は美津子、お父さんは健太。
 西倉高校の二年生で吹奏楽部。担当楽器はフルート。
 今日は部活が休みだったから、里奈ちゃんと一緒にカラオケに行った。タピオカを飲んだ後に、別れて一人でバスに乗った。バスではスマホで好きなアイドルの動画を見てたけど、トンネルに入ってから電波の入りが悪く、ついには圏外になってイライラしてたところまでは覚えてる。……トンネル。そうだよ!よくわからないけど、上から凄い衝撃音がして、バスが横転したんだ!その時に、私は頭をぶつけて気を失っていたんだ。一体どれくらい時間が経ったんだろう。

スマホ……スマホはどこ?」

 私は、真っ暗闇の中で手をバタバタ動かし、スマホを探した。幸い、すぐ手が届く場所にスマホは転がっていた。自分のリュックもその隣にあった。スマホで時間を確認するとと23時09分。バスに乗ったのは18時だったから5時間ほど気を失っていたみたいだ。電波はやはり届いていない。圏外のままだ。スマホの充電は残り63%。モバイルバッテリーもあるけれど、それも尽きたら完全に暗闇だ。私は充電に気を使いながら、懐中電灯のアプリを起動し辺りを照らした。少し視界は良くなったけれどまだ状況はよくわからない。バスの外を照らすとトンネル内の消火栓が見える。ここは確かにトンネルだ。どうして非常灯はついていないんだろう。トンネルが崩落して落石がバスに当たって横転した?こんなに真っ暗ということはトンネルの中に閉じ込められた……?嘘でしょ?そんなことある?

「誰かー!誰かいませんかー!」

 私以外にも乗客が一人いたはずだし、何より運転手さんがいるはず。私は声を張り上げたが、トンネル内に虚しく反響するばかり。
「もしかして運転手さんも、前に座ってたあの人も、死…死んでたりしないよね。私も気を失ってたんだから…。うん、そうだよ。そうだよ。」
 不安と恐怖をかき消すように、ブツブツとひとり言を呟いていた。でも大丈夫だよね!きっとすぐニュースになって警察?消防?わからないけどレスキューの人が助けに来てくれるよね!

 運転席には運転手さんがいるはずだ。スマホで照らしながら、バスの中を這って進んでいく。前の席に座っていたはずの男性がいない。窓が割れているから投げ出されてしまったのだろうか。外の様子は暗くてよくわからない。
 運転席まで行くと、運転手が頭の上に大きな岩が乗っていた。辺りには大量の血が沁みている。
「…運転手さん!運転手さん!大丈夫ですか!」
 大丈夫なわけがない、大丈夫なわけがないでしょう。運転手さんの体に触れると体温をまるで感じなかった。恐怖で身体がガクガク震えた。人が死んでいるのを見てしまった。さっきまでこの人生きてたんだよ。いつものバスのいつもの運転手さん。50歳くらいの白髪交じりで優しい声をしたおじさんが、今、岩の下敷きになっている。死んだ。死んだんだ。
 
 私はバスの外に出た。トンネルから出なくちゃ。スマホのライトを頼りにして歩いていく。すると、男性が倒れているのを見つけた。この人は前に座っていた男性だ!
「大丈夫ですか!意識ありますか?あったら返事をしてください!」
 お願い、返事をして…!私は祈るような気持ちで男性に呼びかけた。
「ん……ああ……ここは?」
 男性は私の声に呼びかけるようにして目覚めた。私は男性にこの事態を説明した。
 トンネルが崩れて閉じ込められたこと。
 それから数時間経っていること。
 運転手さんが亡くなったこと…。
    このトンネルの中には私たち二人しかいないこと。

「…ああ。そうか。最近雨続きだったから土砂崩れでも起こしたのかな。運転手さんもお気の毒に。」
 男性は妙に冷静だ。
「とにかく一緒にここから出ましょう。私,一人が怖くて怖くて…。」
「そうだよね。怖いよね。でも僕は一緒には行けないな。さっきから足がとても痛いんだよ。多分、骨が折れてる。」
「えぇ!?大丈夫ですか?ごめんなさい、私自分のことばっかりでお兄さんのこと考えられてなくて…。」
「いいんだよ。でも嬉しいな。君みたいな女子高生にお兄さんって呼ばれるなんて。もう僕は35歳なんだけどなあ。立派なおじさんだよ。立派な人間ではないけどさ。」

 男性からはまるで緊張感を感じない。本当に状況がわかっているのだろうか?まだ現実を受け止められないだけかもしれない。こうやって精神を保っているのかな。

「とにかく私だけでも外に出て助けを呼んできますね!申し訳ないですけどお兄さんはここで待っていてください。」
「うん、わかった。ありがとう。」

 出口に向かって歩いたが絶望はすぐにやってきた。完全に出口は瓦礫で埋まっている。反対側へも行ってみたが同様だった。そうだよね。すぐ出られるのならもう助けが来てるはずだもんね。そんな当然のことにすら気付かないくらい動揺しているのか。
 ひとまず私は男性の所に戻ることにした。この暗闇の中、一人ではとても耐えられない。

「ダメでした。出口は両方とも埋まってました。」
「そうだろうね。まあ仕方ないか。」
「もしかしたら他に人がいるかもって思いましたけど、誰もいませんでした。普段から車通りの少ない道ですから、閉じ込められたのはやっぱり私たちだけみたいだけみたいです。」
「そうか…まさかこんなことになるなんてね。」

 動揺している私とは対照的に、やはり男性は冷静だ。これが大人の余裕ってやつなんだろうか。それにしても冷静過ぎる、まるでこの状況をどうとも思っていないみたいな…。

「こうなったら助けを待つしかないね。」

そう言う男性の言葉もどこか他人事のように聞こえる。

「あの私、橋島ちさとっていいます。西倉高校に通ってます。お兄さんの名前を教えてもらっていいですか?」
「……ちさとちゃんね。僕は君島直哉。直哉でいいよ。西倉高校ってことは僕の後輩になるね。20年個下の後輩かあ。高校生活楽しい?」
「はい、楽しいですよ!仲の良い友達もいますし。里奈ちゃんって言う子なんですけど、凄く変わった子で、今日もカラオケでずっと真顔で童謡を歌ってるんですよ。凄く歌が上手いから感心しちゃうんですけど、あんなに真顔でチューリップ歌う人います?咲いた、咲いた、チューリップの花がって。もうおかしくておかしくて私ずっと笑っちゃいましたよ。あ、里奈ちゃんっていうのは吹奏楽部で一緒の子なんですけど。」
「そっか、楽しそうだね。僕も高校時代は吹奏楽部だったよ。と言っても半年くらいしか在籍してなかったけどね。」
「そうなんですか!直哉さんはOBだったんですね!それなら、ますます先輩ですね。」
「ますます先輩だよ。一応だけどね。」
「意外な縁ってあるものですね。こんな所で言うのもなんですけど。」

 同じ高校の卒業生と知って直哉さんとの距離が縮んだような気がする。直哉さんも少し心を開いてくれてるような気がした。こうして話していると心細さが和らいでいくような気がした。もし外に出られなくて、誰もおらず一人だったらと考えると恐ろしい。直哉さんがいてくれてよかった。

「なんか、ちさとちゃんって話しやすいね。」
「そうですか?でも、私は初めて会う人にも昔からの親友のように接するようにしてるんですよ。その方が仲良くなれる人とは早く仲良くなれるし。それで引いちゃう人は仕方ないかなって。仲良くなるまでの時間が勿体ないんですよね。」
「へー、凄いね。その考え方好きだよ。」
「これは母からの受け売りなんですけどね。小学生の頃の私は引っ込み思案で友達がいなかったんですけど、母に言われて勇気を出してあえて人との壁を壊していくようにしたら友達が出来たんです。まあ嫌われることも増えましたけど。だから直哉さんに話しやすいって言われて嬉しいです。」

 お母さん…。
 心配してるかな。
 凄く会いたいよ。

「ちょっとさ、僕の話をしていい?」

 直哉さんは私の顔をじっと見て、そう言ってきた。
 ええ、どうぞ。と答えると、堰を切ったように話し始めた。

「……僕はさ、もう死のうと思ってたんだ」

■君島直哉

 これまでの人生全然ダメだったんだよ。
 小学生の頃はいじめられてて毎日学校に行くのが辛かったな。中学の頃になるといじめられることはなくなったけど、なんだかみんなに距離を取られてるというか、とにかく毎日ずっと一人だったんだ。友達なんていなかった。
 だから高校…そう西倉高校に入って自分を変えようと思ったんだ。ここは僕の地元からは離れていて知り合いが誰もいないから。入学してから無理に明るく振る舞ったり、色んな人に声をかけたりしてさ、いじられキャラになったりもして友達を作ろうと頑張ったんだ。でも無理は続かないよね。最初はみんなと楽しく過ごしていたけど、徐々に徐々に距離が離れていくんだ。2年生になる頃には結局僕はまた一人になってたよ。みんなと仲良くしようとしたら、結局一人の友達も作ることが出来なかったんだよ。そうそう、入学した時は吹奏楽部に入ったんだけど、自分以外が全員が女子っていう空間に耐えられなくて半年くらいでやめちゃったんだ。そして結局何も自分を変えられないまま高校を卒業したよ。

 とにかく青春時代を謳歌するってことに、完全に失敗したんだ。

 卒業後は進学も就職もせずにフラフラしてたよ。
 毎日暇でさ、夜になると近くの公園に行って一人でギターを弾いて歌ってたんだ。一応、僕のオリジナルソング。これでも作曲には結構自信があるんだよ。で、自分の塞ぎ込んだ色んな気持ちを発散してたんだ。
 そうやって歌ってたらさ、一人に女の子が声をかけてきたんだ。それがね、もう失礼なんだよ。
「…あんまり上手くないね。」
だよ?どうしてこの人いきなり悪口言ってきたんだろうって。でもその後に彼女はこう言ったんだ。
「でもなんだか好きだよ、あなたの歌。いつもここで歌ってるの?また聴きに来てもいい?」

 それから彼女、ミコって言うんだけど、は大体3日おきくらいに僕の歌を聴きに来たよ。直哉の歌は不器用で人間臭さが滲み出てるのが良いって言ってくれてたけど、なんとなく褒められてる気がしなかったな。もっと声が良いねとか、曲が好きだよ、とかそういう風に褒めてくれればいいのに、ミコは絶対にそういうことは言わないんだ。 
 歌い疲れたら、そのまま夜の公園で二人で話し込むこともよくあった。そこでミコとは同い年だってことを知ったよ。ミコは短大に通っていたからその話をしたり、他にもバイトの話とか。僕の話なんかも聞いてくれたな。僕には友達らしい友達がそれまでいなかったからこうやって話し合えるってことが嬉しかったんだ。
「私が同じ高校だったら直哉と絶対仲良くなりに行ったのに。絶対楽しいし、そうやって周りに馴染めない人って私好きだから。」
なんて言ってくれて、凄く嬉しかったな。
 まあ大体わかると思うけど、僕はすぐにミコに恋をしてしまったんだ。それまでロクに人と関われなかった僕をほぼ完全に肯定してくれたのがミコなんだ。
 
 でもこの恋は叶わぬものだってわかっていたよ。ミコには彼氏がいたからね。いつも彼氏の話をするんだよ。ケンちゃんと水族館に行った。ケンちゃんとケンカした。ケンちゃんと仲直りした。ケンちゃんとセックスした。
 叶わぬ恋だとわかっていても、こうやってここで歌い続けていれば、僕はミコに会える、ミコと話せる。それだけでよかったんだ。
 それなのに、僕らはいつしか夜の公園以外でも会うようになっていった。昼間に会うことはなくて、必ず夜だけれど。
 今でも忘れられないのが二人で一緒に月の照らす砂浜を一緒に歩いた真夏の夜だね。月明かりの下で波と戯れるミコの姿と声を、今でも鮮明に思い出せるよ。凄く綺麗だった。それを見ながら「二人を照らすのは太陽ではなくいつだって月明かりだな」なんて思ってたんだ。太陽の下で堂々と逢えたらいいのに。でもミコの彼氏に見つかると良くないから。別にやましいことは何もないけれど、これは浮気だってお互いに言葉にはしないけどわかっていたんだ。
 そんなある日、僕が凄く落ち込んでいて「結局僕はずっと一人な気がする。これからもずっとそうなんだよ」なんて愚痴ったら、ミコは僕の体を抱きしめて
「直哉は一人なんかじゃないよ。私がここにいるじゃない。直哉が一人じゃないって私が証明してみせるから」とか、もうボロ泣きしながら言うんだよ。僕のことを考えて泣いてくれる人がいるなんてとにかく驚いたよ。この時に、初めて僕は、自分がこの世界に存在しててもいいんだって思えたんだ。僕も涙を堪えることが出来なくて泣きじゃくったよ。
 そのままいつもの公園で、最初で最後のキスをしたんだ。

 それから何日後だったかな、でもすぐだったな、ミコが妊娠したのは。
 
 そんなに驚きはなかったな。避妊してないってことは聞いてたし。子供が欲しかったとかじゃなくて、単にそこはだらしなかっただけだと思うけど。
 妊娠が発覚して以来、ミコは夜の公園に来なくなった。「直哉が一人じゃなって証明してみせる」なんて言ってたけどそんなもんか。とか自分勝手なことを考えたりもしたよ。でもさ、よく考えたら、僕みたいな人間にこんな夢みたいな時間を与えてくれたミコには感謝しかないよね。凄く辛い気持ちもあったけど堪えてミコの幸せを願ったよ。それに新しく生まれてくる命を呪ってる人間がいるなんて、そんな可哀想なことないでしょ。

 高校を卒業して以来ずっとフラフラしてた僕だけど、バイトを始めることにしたんだ。ずっとネガティブな僕だったけど、とにかく明るくてポジティブなミコに影響されて考え方が前向きになっていたんだ。
 バイトを始めて3か月経った時に、珍しく連休が取れたから、久しぶりに夜の公園に歌いにいったんだ。
 そうしたらそこにミコがいたんだ。
「急に会えなくなってごめんね。メールでも言ったけど私妊娠したんだ。」
「うん。」
「多分会えるのも今日で最後。だから私は直哉に謝りたくて、あとどうしても言いたいことがあってここに来たんだ。」
「そっか。わざわざありがとうね」
「私ね、直哉のこと好きだったよ。私はズルい女なんだ。彼氏のことが好きなのに、直哉のことも離さないようにして。直哉が私のこと好きだったのもわかってたよ。だけどそれをわざと曖昧にしてたんだ。ごめん。直哉と一緒にいると、こんな卑怯な私でも真っ直ぐで素直な人間になれる気がしたんだ。直哉は全然自分に自信がないけど、私は直哉の良い所をいっぱい知ってるよ。いつも一生懸命なところ、人の悪口を言わないところ、誰よりも素直なところ、そしていつも素敵な歌を歌ってくれるところ。ねえ、最後にズルい私のお願い聞いてくれる?直哉の歌を聴きたいな。」
「……いいよ。でもちょっと移動しようか。」

 そうして僕らはいつかの砂浜へ行ったんだ。その日は綺麗な満月だった。静かな波音が響いている。もう11月だから夜の潮風で少し冷える。
 これから歌う曲は、いつかのミコの姿を想って作った曲だ。
 タイトルは「月の照らす砂浜」
 僕は精一杯に歌った。ミコへの感謝も愛情も上手く言葉に出来ない気持ちも全部伝わるように、想いを込めて、歌ったんだ。

「直哉、ありがとう。今までで一番良かったよ。直哉はずっと歌い続けてほしいな。きっと直哉の歌に救われる人が必ず沢山いるはずだから。今までありがとう。出会えてよかったよ。」

 そう言ってミコは去っていった。去りゆくミコの姿も月明かりに照らされて、最後までやっぱり綺麗だった。「ずっと歌い続けてほしい」なんて言われたらもうやめることが出来ないよね。こんなの呪いじゃんって笑っちゃったよ。

 それから僕は1年間バイトを頑張ってお金を貯めて東京へ行ったんだ。20歳になった時だね。東京で自分の歌を試してみようと思ってね。

 だけどね、ここは結論から言うと全然ダメだったよ。僕は歌そのもが好きなんじゃなくてミコに歌うのが好きだったんだって気付かされたというか。本気で音楽やってる人の熱量や努力量って本当に凄いから。自分は全然ダメだなって思ったんだ。
 上京して1年も経たない内に心が折れて、それからはたまに路上で歌うくらいで、特に夢も希望もなくずっとバイト暮らしだよ。
 自分の人間性みたいなものは変わってなかったみたいで相変わらず友達は作れず、ずっと一人さ。
 ミコと一緒にいた半年間はあんなに鮮明に思い出せるのに、それからの15年はこのことはボンヤリと思い出せないんだ。僕はきっとこの15年でダメな人間になったよ。今の僕を姿を見たらミコはなんて言うんだろうな。

 最初にも言ったけど、僕はもう死のうと思ってたんだ。
 もう自分の人生に何も希望がなくてさ、毎日楽しくも辛くもないんだよ。だったら、35歳になったら死ねばいいや、って後先考えずに生きてみようってある日思ったんだ。26歳の頃だったかな。そう思った直後は色々と行動出来て楽しかったけど、やっぱり飽きてくるんだね。それからまた何もないまま35歳になっちゃたよ。だからもう死のうって。
 でもさ、死ぬ前に最後にミコに会いたかったんだ。15年間も会ってない僕のことなんて忘れてるかもしれないけど、それでも最後に少しだけでも会話がしたかったんだ。どれだけ引きずってるんだよって笑っちゃうかもしれないけどさ。僕の人生で唯一輝いていた時間がミコといたあの半年だったんだよ。
 そう思って帰ってきて、思い出の街に向かってバスに乗ってたら、このトンネルの事故だよ。笑っちゃうね。僕の人生どうなってんだよ。神様は僕に何があっても不幸であってほしいみたいだね。このままここで死んでしまっても別にいいかなんて思ってるんだよね。

 長々とこんな話をしてごめんね。多分僕が人生で最後に話す相手が君だからさ。ちさとちゃんだっけ?ありがとうね。なんだか凄く話しやすくて、一気に話しちゃったよ

■橋島ちさと

 直哉さんは、一気に話した。
 長い長い話だったけど、私は何故かその話に引き込まれていた。直哉さんはきっと上手くいかないことだらけで心が折れてしまってるんだろう。自分の可能性を信じられなくなってるんだろう。まだ16歳の私にその絶望はわからない。単に直哉さんの努力不足なのかもしれない。でも今の話には直哉さんの強い強い想いが込められているように感じた。こんなに強い想いをぶつけられたのは初めてだ。

「直哉さんの歌、聴いてみたいな…。」

 私がそう言うと、直哉さんは苦笑いをしながら

「無理だよ。一気に話して喉がカラカラだし。実は骨も少し痛めていてね、話すだけでも結構痛いんだよ?」
「じゃあ、外に出て、治ったら聴かせてください。このまま死ぬなんて言わないでください。そんなの私が認めない、私が許さない。私は直哉さんの歌が聴きたいと思ったんです。私に歌を聴かせるまでは絶対に生きてください。」
「随分めちゃくちゃ言うね。」
「はい、私はワガママなんですよ。里奈ちゃんにもいつもそうやって怒られてるんですから。」

 直哉さんは私を顔をじっと見て、そして笑った。

「オッケー。じゃあそれまでは生きるよ」
「約束ですよ。」
「安心して、後輩との約束は守るよ。でも、それもここから無事に出られたらの話だけどね。」

そうだ、結局いつになったら救助は来るのだろう?いや、そもそも救助などくるのか?私たちは実は誰にも気付かれずに埋まっているんじゃないか?そんな不安を感じた頃、強く大きな光が私たちを照らした。

「救助隊です!!聞こえますか―!救助隊です!!」

救助が来た!!
救助が来たんだ!

 
「直哉さん!!救助が来ましたよ!私たち出られるんですよ!!」
「ああ…。」
「もう、もっと喜んでくださいよ。でもこれで絶対に約束は守ってもらいますからね。いつか歌を聴かせてくださいね。」

 私たちはそれぞれ救助された。
 トンネルの外にはお母さんとお父さんが待っていた。
 
「ちさと…!よかった生きていてくれて…。」

 お母さんが泣きながら私を抱きしめてくれた。お父さんも後ろで涙を流している。私は助かったのだ。こうやって、生きて、外に出ることが出来たのだ。安堵からか涙が止まらなくなり、それは嗚咽となった。
 また家族でご飯を食べれる。水族館にも行ける、喧嘩も出来る。仲直りも出来る。そんな当たり前のことが当たり前に出来るのだ。よかった。よかった。
 亡くなった運転手の遺体も収容されているようだ。私は目を瞑り手を合わせた。あの白髪の運転手さんの分も精一杯生きなくてはと思う。

 直哉さんは救急車で運ばれていった。
 私も少しだけ同じ病院で入院することになった。頭を強く打ったから精密検査をするらしい。大袈裟だなあ。こんなに元気なのに。

 そして、あのトンネルの事故から半年が経った。
 私は西倉高校3年生となった。今年から吹奏楽部の副部長だ。
 こうやってのんびりと朝ご飯を食べられる日常が当たり前ではないんだと日々感じている。

「あ、お母さん!今日私遅くなるから」
「あら、珍しい。何があるの?」
「えっとね、ライブ。」
「ライブ?誰の?どこまで行くの?」
「アーティストは内緒。でも会場はね…」

「月の照らす砂浜だよ。」

 

■君島直哉

 月明かりの下で、僕は海でギターを弾いている。この海でギターを弾くのも15年ぶりか。 
 もう少ししたら僕の歌を聴きにお客さんがやってくる。

 あのトンネル事故からもう半年が経つ。そしてトンネル内で出会った少女を今待っている。橋島美津子の娘、橋島ちさと。つまりミコの娘だ。
 何の因果か、ミコに会うために西倉町に帰ってきてすぐにトンネル事故に巻き込まれ、そしてミコの娘と出会った。その娘が何故か僕の歌が聴きたいと言いだし、この海で歌うことになった。 
 病院でちさとちゃんの顔をしっかり見た。スマホのライトに照らされただけのトンネル内では薄暗くてわからなかったが、本当にミコによく似ている。ちさとちゃんのお見舞いにやってきたミコの姿も見た。ミコが僕に気付いたかどうかはわからない。16年ぶりに見るミコは僕の記憶の姿とは違っていた。昔と同様に綺麗なのだが、より強い女性となっていた。僕が全く知らない強く優しい母の顔になっていた。以前より更に色気も増して、魅力が増している。あれから良い人生を歩んできたんだろうなとすぐに感じた。
 ミコの16年に比べて僕は何をやっていたんだろう。何も成長せず何も得られず、ただ老いていくだけ。やはり生きている意味などなかったように思える。

「この海で死ぬつもりだったんだけどなあ」

そう、ひとり言を呟いた時、ちさとちゃんが現れた。

「直哉さーん!お待たせしましたー!お久しぶりです!」

元気に一杯に現れたちさとちゃんの姿は、月に照らされ、かつてのミコの姿と被って見えた。ちさとちゃんは、僕が話した「ミコ」が自分の母のことだと知っているのだろうか?

今日の為に新しく曲作ってきた。新曲なんて何年ぶりに作るだろう。
タイトルは「トンネルの向こう側に」
あの日のこと、そして僕の人生も今までトンネルに埋まっていたようなものだと思い、そこからの脱出を願い作った曲だ。
 僕は精一杯に歌った。ちさとちゃんは目を瞑りじっくり聴いてくれている。そして歌い終えると一言。
「…あんまり上手くないですね。」
「でも私、直哉さんの歌好きかもしれないです。他に曲ないんですか?もっと歌ってくださいよ。」

僕はそれから1時間歌い続けた。これでは本当にライブみたいだ。

「直哉さん、東京に帰っちゃうんですか」
「いや、もう死ぬつもりで帰ってきてるし。バイトもやめたし部屋も解約したしこのまま実家にいるよ。」
「この後どうするんですか?」
「正直まだ考えてない」
「死なないでくださいね。私、また直哉さんの歌が聴きたいです。よかったらまた聴かせてください。」

■橋島ちさと

 直哉さんの歌はそんなに上手じゃなかった。むしろ下手な部類かもしれない。でも何故だろう、私はまだ直哉さんの歌が聴きたいと思ってしまう。あのトンネル内を一緒に過ごしたという吊橋効果だろうか。
 今ここで急にキスをしたら直哉さんは驚くかな。その顔を見てみたいな。この人が私の彼だよ!って連れて帰ったらお母さんは驚くかな。「ミコさん」は驚くかな。そうしたらどんな顔をするんだろう。
 私の中のいけない何かが疼いているのがわかる。血は争えないということかな。
 お母さんが今でも他の男の人と関係があることを私は知ってる。相手が何人いるのかまでは知らないけど。私が子供の頃からずっとそうだった、お父さんは知ってるのかな?でも私はお母さんを責める気にはなれない。だって気持ちがわかるもん。男の人の心を掴むのって気持ちいいもんね。それに私はお母さんが大好きだから。
 
「ねえ、直哉さん」
「ん?なに?」
「直哉さんは一人じゃないですよ。私がいるじゃないですか。直哉さんが一人じゃないってこと、私が証明してみせます」

 私は直哉さんを真っ直ぐ見据え、その唇を奪った。

「ミコさんが出来なかったことも、私ならしてあげますよ?」

 

終。

ど田舎鳥取の少年が上京して衝撃を受けた話。

日本一人口が少ない鳥取県
その鳥取の中でも特に田舎の地域で、海と山と川に囲まれスクスクと育った僕は、高校を卒業後、東京へと旅立ちました。
超が付く田舎者の僕は大都会・東京をとてもとても恐れていました。

上京直後はとにかく気を張っていました。

電車に乗れば当然スリがいるので、ポケットには何も入れず、常に周りを警戒していました。
駅や道で迷って地図を開こうものなら、田舎者だと即バレして、当然何かしらの詐欺に合うに違いないので、例え迷っていたとしても「この街は俺の庭だけど?」みたいな顔をして歩き、トイレの個室で地図を確認していました。
更に、裏路地に入れば常に麻薬売買や殺人が行われているはずなので、常に大通りを歩いていました。命は大切です。

東京は恐ろしい街、そう信じていました。

そんな僕の東京への大いなる誤解は、ある出来事がきっかけでなくなりました。
ある日、僕は原宿で財布を紛失したのですが、財布を交番に届けてくれた人がいたらしく、後日手元に返ってきたのです。
東京にそんな優しい人がいるなんて!!
財布なんて落としたら当然おしまいだと思っていたのに!
東京は血塗れの人が倒れていても素通りする冷徹の地だと聞いていたのに!!
ひょっとしたら誤解していたのかもしれない…。
東京の皆さん、すみません…。
お詫びに今度鳥取の梨を配りますね…美味しいですよ…。

・・・

東京では色んなカルチャーショックを受けました。

冒頭にも書きましたが僕の出身は鳥取県
日本一人口が少ない過疎県です。
自動改札すら2016年11月にようやく米子駅に導入されたっていうほど文明が遅れているのです。
そんな発展途上県から上京した僕には色んな驚きがありました。

まずはSuicaにはしゃぎました。
なんだこのカードは・・・!?
チャージしてピッとするだけで改札を通れる??
自動改札すら未来の世界の機械なのに、更に先があるだと…!?
嬉しくて楽しくて無駄にピッピッやってました。

次にバイトの時給。
時給900円以上なんて当たり前、むしろそんなの安いくらいで1000円以上のバイトもゴロゴロしている!(2004年当時)
鳥取県のバイトは時給630円が普通なのに!なんだこの格差は!!
僕がやってた新聞配達は時給換算したら1時間400円だったぞ!
それはそれで明らかにおかしいけど!

コンビニも地元にはポプラとローソンしかなかったけど、東京にはあの有名なファミリーマートセブンイレブンがある!!
ファミチキってこんなに美味しいの!?
他にもサンクス、ミニストップ、スリーエフ、サークルKなどなど。
え、なにこの豊富なコンビニの種類・・・こわい・・・。

何より一番驚いたのはどこまでも街が続くこと、そしてその規模です。
新宿渋谷池袋といった繁華街はもちろん、日暮里、大森、練馬、八王子どこに行っても大都会大都会です。(秋葉原のあまりに偏った街のあり方にも驚いた)
僕が最初に住んだのは西武池袋線の江古田という場所ですが、その小さな町ですら鳥取県の一番栄えた場所である米子より栄えていると思いました。
東京の人は「23区外は都内じゃないよね」とかよくわからないことを言いやがります。
僕から見れば大都会の街ですら田舎扱いしてたりするのが不思議でした。
お前はまだトットリを知らない。と言ってやりたい気分でした。

どこに行っても大都会大都会。
自転車に乗ってあちこち回るのが楽しくて仕方なかったです。
ウキウキしてました、ドキドキしてました。
この頃が人生で一番ワクワクしていたと思います。

今までとは全く違う世界に来たんだ!!
これから新しい生活が始まるんだ!
今ならなんだって出来る気がする!!


あの高揚感は今でも忘れられません。
こうやって18歳の少年の東京生活が始まったのです。

鮭だ…俺には…鮭が必要なんだ…!


暑い
暑すぎ

初っ端から暑いの三段活用をかますくらい暑いです。
この暑さを一言で例えるなら、暑いです。

こんにちは、伊上透です。
こんな猛暑日には21歳の夏の記憶が蘇ります。

あの日も、今日みたいに、風すらも暑い日だった。
確か最高気温は39度。
あの日の僕は13~16時の真っ昼間にサッカーをしていた。

いつも通っているフットサルコートの運営会社がサッカー大会を企画していたのだ。
僕は一ヶ月も前から事前予約を入れてウキウキでその日を待っていたのだ。

当日。
外に出たら明らかにヤバい気温だった。
数秒で汗が吹き出るし、本来涼しいはずの風が暑い。
それでも、やるのだ。
僕としても久しぶりのサッカーだ。
猛暑とはいえ、はしゃがずにいられようか!

「皆さん!今日はマジで暑すぎてヤバいんで、とにかく水分補給だけはしっかりしてくださいね!」
「あと気分が悪くなった方はすぐに言ってください!」

大会スタッフがしきりにそう叫ぶ中でサッカー大会はスタートした。
大会と言っても、当日に集まったメンバーをランダムに振り分けてチームを作りミニゲームをするというレクリエーション的なものだ。
本気でバチバチやるようなものではない。

とは言え、あまりに暑い。
暑すぎる。 
しかも13時~16時という一日で一番暑い時間帯にサッカーという走り回るスポーツをしているのだ。
頭痛や吐き気を訴えて脱落する人が続出した。

そんな中で僕は21歳という若さもあり、元気に走り回っていた。
とにかく久しぶりにサッカーが出来ることが嬉しくて体調不良になってる場合じゃないのだ。

多少の脱落者は出たものの、無事に大会は終了した。
僕は身体中の水分という水分を全て流しきるかの如く汗をかいていた。
こまめに水分補給はしていたが、それでも大量の塩分を失い、フラフラ朦朧としていた。
今すぐ塩分を採らなくてはいけない。
その時、僕の心がこう訴えてきた。

鮭だ…

俺には鮭が必要なんだ…!!

鮭を食べなくては…!

帰り道、意識が朦朧とする中で、近くのスーパーに寄り、鮭の切り身をいくつか買った。
帰宅するや否や、火も入れずに鮭にむさぼりついたのだ!
鮭ぇ!お前の力が必要なんだぁ!と内なる僕が囁き、もはや抗えないのである。

ガブガブ。

僕はひたすら鮭を喰らい、ポカリスエットを飲み、シャワーを浴び、冷房のよく効いた部屋でゆっくり眠りましたとさ。

ちゃんちゃん。

あの夏、僕にとっての塩分は鮭でした。
こんな猛暑日には、鮭のことを思い出さずにはいられません

インターネットに夢を見ない。

5月からnoteでブログを書き始めました。
ほぼ毎日記事を書いていて120記事くらい書いたかな。
3か月で120記事だから、かなりハイペースで書いてきました。
どれかの記事がバズったりしないかなと思っていたけど、そんな様子はまるでないです。
Twitterでもそうだけど、自分がどれだけ良いと思う投稿をしても、特にバズらないし繋がりなんて広がらないです。
自分に凄い文章力や感性があれば、好きなこと書いてるだけで広がってたのかもしれないけど、残念ながら僕にその才能はない。

 

インターネットに夢を見たってダメなのです。
これだけみんなが発信しまくる世の中で、自分の投稿が脚光を浴びることを期待しても仕方ないのです。
いや、出来る人もいるんだろうけど、自分にはその能力はない。
それに、一応僕にも小さなバズりはあったけど、どこの誰かもわからない不特定多数の人に「いいね」されても特に嬉しくないんですよね。
それより自分が好きな人からのたった一つのいいねの方が100倍、1000倍、1億倍嬉しいです。

 

じゃあその好きな人はどうやって見つけていけばいいんだろう?
僕がしていることは、地道にTwitterやnoteで色んなアカウントを見てフォローしていくことです。
きちんと読んで、この人好きだなって思える人を探しています。
好きだなって感じた人に自分の記事を見てもらえたら嬉しい。この人いいなって思ってもらえたら死ぬほど嬉しい。
インターネットを使って不特定多数からいいねをもらうより、そうやって地道に関係を築いていくことの方が僕は好きです。
これは別にネットを使わなくててもいいんだけど。
リアルで知り合った人に、自分のTwitterやnoteを教えて読んでもらえたら凄く嬉しい、面白いと思ってもらえたら死ぬほど嬉しい。
今はコロナの影響で人と出会う機会ってのがかなり減ってるから、以前以上にネット頼りになってるけど。

 

まず自分が好きだなって思える人を見つける。
そしてその人に興味を持ってもらえるように僕は今日もnoteに記事を書くし、Twitterでもツイートしまくります。
大好きなあなたに届くように、いつか自分の記事を読む未来の誰かに届くように。

自分が面白い楽しいと思うことを、同じように面白い楽しいと感じてくれる人が見つかったら最高じゃないですか。
この世界にはそんな人が沢山いるはずなんです。
そんな人をこの人生をかけて出来る限り探し出して行きたいと思っています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!
この記事を読んで、少しでも僕に興味を持っていただけた方は、是非↓のTwitterを覗いてみてください。
よかったらフォローもしてくれたら凄く凄く嬉しいです!。
これが良い出会いになることを願っています!

 

それでは!



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